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会長のエッセイ

損失補てん事件

 私が経営しているプラネットのパートナー会社インテックが1980年中頃に、TBSと地方テレビ局を作ろうとしていた。富山に本社があるインテックは通信に強いIT会社として成功していたが、メディアとしてのテレビ事業にも意欲もっていたのだろう。
 実は、その時のTBSの社長田中和泉は私の従弟だったのである。田中に会った時にインテックとはどんな会社だと問われ、「今時、地方局を作っても採算に合わない」とあまり積極的ではない様子だった。しかし、TBSの副社長が進めてくれて1989年にチューリップテレビを設立した。少々心配だったので、富山に行ったときにチューリップテレビを訪ね、見学させてもらった。すると、社員の大半が若い女の子であった。彼女たちが元気にカメラを担いで取材に走り回っていた。放送設備も後発の優位性を活かして小さな機械が使われていて、かなりローコストで立ち上げた様子であった。

 話が変わるが、それから数年後の1990年ごろ、証券会社による損失補てん事件が起こった。大手の証券会社が大企業の法人顧客に取引で損失が出ても、損を補てんするとの裏取引をしていたことが露見し、損失補てんを受けていた会社の名前が多数公表されてしまったのである。
 日立製作所、トヨタ自動車、松下電器産業、日産自動車、丸紅、ユニ・チャームなど損失補てんを受けている会社として報道された。資生堂の名前も挙がっていたのだが、その時の福原社長は即座に謝罪をした。その時の謝り方が潔く、模範的な対処の仕方だと称賛された。一言もコメントをださず、謝りもしなかった会社も多かった。ある大学教授がこれは大口手数料割引の変形であって、金融制度が未成熟な日本ではやむを得ないことだとの意見を述べていた。その当時は、尾上縫事件、イトマン事件などが起こり、バブル末期の混乱が続いていた時代である。
 さて、マスコミ系の会社では唯一TBSが損失補てんを受けていた。やはり公共放送の会社が損失補てんを受けていたらまずいだろうと批判が広がっていた。テレビ会社では異例の経理畑から社長になっていた田中和泉社長は、社内からの批判もあり、やむなく辞任した。
 更にまた、富山に本社がある会社としては唯一インテックも損失補てんを受けていたのである。社長の金岡幸二は富山県の教育委員長をしていたため、地元の一部からの非難が続いていた。財務担当の中尾哲雄専務は責任を感じ相当悩んでいた。
 ところがそのさなか、金岡幸二社長がくも膜下出血で急逝した。インテックの創業者金岡幸二氏は、日本通信の自由化に並々ならぬ意欲を持ち、通信の民営化を実現させた功労者である。日ごろから尊敬していた先達であり、まだまだご指導いただかなければならない人あった。
 弔問のため、富山の金岡邸に赴いた。空港からタクシーに乗り、行き先を告げると運転手が「惜しい人をなくしましたね」と話しかけてきた。金岡家は江戸時代からの代々の薬種問屋だったという名家で、金岡記念館もあり、地元では知らない人はいない。更に運転手は「私の車にもお乗せしたことがあります」、「そうですか、私も頼りにしていた方でした」と応じた。
 そして、しばらく沈黙した後に「次は、中尾さんですかね」と運転手が言った。えーっと、びっくりした。中尾さんの上には年上の専務がいて中尾さんはナンバー3であった。にもかかわらず、街の運転手までもが名前を挙げるとは、地元に名が知れるほど凄腕専務だったのだろう。
 その後、金岡幸二氏の築いた礎の上に、後を継いだ中尾哲雄氏は大きな花を咲かせ、中興の祖となった。もし、中尾哲雄氏が損失補てん問題で辞任していたら、今日のインテックはなかったと考えられる。
 現在の中尾哲雄氏は80歳を迎え、富山名誉市民となっている。チューリップテレビも花開き、地元に定着している。

玉生 弘昌

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