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舘 暲(たち すすむ):
東京大学名誉教授
Webサイト/ https://tachilab.org/
1973年、東京大学大学院工学系研究科計数工学専攻博士課程修了、工学博士。東京大学教授、慶應義塾大学教授・国際バーチャルリアリティ研究センター長などを経て、現在、東京大学名誉教授。JST ACCEL「身体性メディア」研究代表者、日本バーチャルリアリティ学会初代会長などを務める。盲導犬ロボット、テレイグジスタンス、再帰性投影技術、TWISTER、触原色などの独創的な研究で世界的に知られる。

最先端のテクノロジーで、人がロボットの身体を用いて複数の場所に存在し、物理的な作業を可能にするテレイグジスタンスの技術が実用化に向け大きく前進している。テレイグジスタンス社会の実現が産業や就労、生活などにどのような影響をもたらすのか。テレイグジスタンス研究の第一人者、舘暲 東京大学名誉教授が透視する。

テレイグジスタンス(telexistence:遠隔存在)
遠隔を意味するtelあるいはteleと存在を意味するexistenceを合わせた造語で、人間が自分自身の現存する場所とは異なった場所に実質的に存在し、その場所で自在に行動するという人間の存在拡張の概念であり、また、それを可能とするための技術体系。

技術の進化、競争から産業化が急速に進展

 筆者は1980年9月にテレイグジスタンスを着想し、爾来じらい、多くの研究プロジェクトを通して実機システムを構築しテレイグジスタンスの実現可能性と有効性を実証してきた。
 表1のような国家プロジェクトを通して進展してきたテレイグジスタンス技術であったが、ここにきて急速に産業化の兆しが見えてきた。
 XPRIZE財団※1が主催するVisioneers Summitが、2016年10月に開催された。このサミットの目的は、次のXPRIZEの対象テーマを9つの候補テーマの中から選ぶことにあり、学識経験者や企業のCEO、VC(ベンチャーキャピタル)の決定権者などからなる約300名のMentor(メンター)と呼ばれる審査員により、9チームの提案テーマが2日間かけて審査された。
 筆者はXPRIZE財団のAvatar( アバター) チームから、『世界で最も進んでいるアバターである「TELESAR V」の実演をVisioneers Summitで行って欲しい』旨の要請を受け、2日間にわたり実演を行った。その結果、他のテーマを押しのけ、アバターが次期のXPRIZEのテーマとして選定され、世界中からの参加者によるAVATAR XPRIZEに向けての競争が開始されるに至った。財団はこの競争を通して、時空間瞬間移動産業ともいうべき、バーチャルリアリティ(VR)、ロボティクス、AI、ネットワークといった最先端のテクノロジーを用い、複数の場所に人間がロボットの身体を用いて存在し物理的な作業までを可能とするテレイグジスタンスの産業化をめざしている。

※1 人類に利益を与える技術の開発を促進し、世界が直面する課題の解決を目的とした賞金レースである“X PRIZE"を運営している非営利団体

プロトタイプが公表され ベンチャー企業も登場

 この動きに呼応するように2017年になって、KDDI、新日鉄住金ソリューションズとNTTドコモやトヨタなどが、臨場感を有した作業が可能なテレイグジスタンスを指向した製品をめざしたプロトタイプを公表。また、テレイグジスタンスそのものの産業化を目指す、TELEXISTENCE INC.などのベンチャー企業も生まれるに至った。さらに2020年には、内閣府のムーンショット型研究開発事業※2の第一目標として、人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現するための研究開発プログラムが開始され、テレイグジスタンス社会への動きが加速されたのである。

※2 日本発の破壊的イノベーション創出をめざした、従来技術の延長にない、より大胆な発想に基づく挑戦的な研究開発(ムーンショット)を推進する新たな事業

世界中のどこからでも 身体を使った労働が可能

 COVID -19が蔓延する中、我が国でもテレワークの活用が行われ始めている。しかし、現在の遠隔からの在宅勤務は、遠隔コミュニケーションやコンピュータを使ったデスクワークに限られ、実際にその場にいないと行えない工場での労働や建設現場の作業などを在宅で行うことは不可能である。
 一方、我が国の社会を支えている社会インフラとそれを守る多くの仕事、例えば、医療、福祉、電気、ガス、水、道路、鉄道、物流、コンビニやスーパーマーケット、建設、土木などは、人間の身体性を必要とする仕事であり、現在のテレワークの範疇では解決できない。
 それを解決する方法が、テレイグジスタンスである。テレイグジスタンスは、五感のみを伝える遠隔コミュニケーションという従来の範疇を逸脱して、人間の身体機能そのものを伝達してしまう画期的な方法である。身体機能を移動できるテレイグジスタンス社会が実現すれば、人と産業との関わりや社会の在り方が、根幹から変革する。
 現在は通勤を余儀なくされている多くの職種で、テレワークが可能になる。そうなれば、都心から離れて家で働くこともでき、子育てや介護に忙しく長時間勤務ができない人でも働きやすくなり、一方、高齢者もロボットを自分の新しい身体として使うことにより、身体の衰えをカバーして働けるようになる。
 また、世界中のどこからでも身体を使った労働ができるようになるので、仕事のために家族と離れて外国に移住する必要がなくなる。また、24時間の労働が必要な職場では夜勤をなくし、時差を利用して昼間の国の人たちに働いてもらうことが可能になるのである。もちろん、テレイグジスタンスは、観光や、ショッピング、レジャーなどの業界にも大きな変革をもたらし、「瞬間移動産業」といった新しい産業分野を形成するに至ると考えられている。

新たな店舗オペレーション 検品・陳列も遠隔操作

 現在すでに、コンビニなど社会を支えている社会インフラともいえる業種で、商品検品・陳列業務を遠隔操作化・自動化することで、店舗の省人化や物理的な店舗立地に制約されない自由度の高いスタッフ採用が可能な新しい店舗オペレーションがテレイグジスタンスにより可能になってきている。
 将来は、どこからでも店舗スタッフがロボットを通じて就労可能な、全く新しい店舗オペレーションが可能となる。人と人との接触を減らすことにより、新型コロナウイルスの感染拡大防止につながるだけではなく、少子高齢化や就労人口の減少により人手不足に悩む店舗に導入するなど、社会課題の解決に貢献することになる。
 このように、コロナ禍を乗り越え、そして、新たな働き方、生き方、社会の在り方を実現する、テレイグジスタンス社会への挑戦が始まっている。

人がロボットの体を手に入れ 自分の身体機能を拡張する

 図3の左図は、パワースーツとか外骨格型人力増幅機と呼ばれるシステムで、人間がロボット型スーツを着込み、能力を拡張して危険な環境下でも人間の大局的判断や目と手の協調作業などの器用さを失わずに作業を可能にするものである。しかし、このシステムにはいくつかの欠点がある。一つは、ロボットが勝手に動くと人の身体までが動かされてしまい自動的にシステムを動かすことが極めて困難であり、AIによる自動化との相性が悪いことである。第二の欠点は、壊れた際に使用者に被害が及ぶことで、第三は、その場に行かないと使えないことであった。
 それらの欠点を解消したバーチャル(実質的)な、外骨格型人力増幅機が、テレイグジスタンスシステムだ。図3の右図のように、使用者は遠隔にいるにもかかわらず、ロボットをあたかもスーツのように着込み、その中に入った状態を実現している。それにより、外骨格型人力増幅機の長所はそのままで、その欠点を補える。すなわち、人が新しいロボットの身体を手に入れ、その機能を使って自分の身体機能を拡張することができるのである。その上で、ロボットに自動で作業をさせるときには、自分が動くことはない。従って、複数のロボットに順次テレイグジスタンスして使用することも可能となる。また、ロボットが壊れても人には危害が加わらないし、もちろん、その場に直接赴く必要もない。

実用化に向け加速 あらゆる産業で広く活用

 しかし、この実現には、ロボティクス、AI、VR、ネットワークのすべての技術の進展と統合が必須であった。1980年の着想から、その実現のために多くのプロジェクト(図3)左:外骨格型人力増幅機 右:テレイグジスタンス(実質的外骨格型人力増幅機)を起こし、技術を蓄積し、その可能性を説いてきたが、今、40年の時を経て、時代が追い付いてきた。ロボティクスは、第四世代を迎え、工場内から市中に出て利用されるべく進展した。AIは、第三世代となり、深層学習で一段と人間の通常の認識の能力に近づいてきている。VRは、第二世代になり、世の中に浸透しつつある。ネットワークは、5Gや6Gといわれ、視聴覚情報だけでなく、触覚情報も遅延なく送れるようになった。それらの技術がテレイグジスタンスを実現するに十分なほど進展してきているのである。
 技術要素がテレイグジスタンス実現に向けて育ってきた現在、世界的にはAVATAR XPRIZEにより、そして、国内的にはムーンショット型研究開発が機動力となり、環境、距離、年齢、身体能力など様々な制限に関わらず自在に瞬時に移動することを可能とするテレイグジスタンス技術が実用化され始めた。まもなく時空間瞬間移動産業が生まれ育ち、遠隔就労やレジャーはもとより、卸・小売業、金融・保険業、不動産業、運輸・通信業、電気・ガス・水道・熱供給業、医療・福祉、飲食宿泊業、サービス業、公務などのいわゆるサービス産業でも広く活用されると期待されている。