資本主義はなぜ自壊したのか (中谷巌著、集英社)
少々変わった経済評論家として人気のある森永卓郎氏が、新春講演会で「元上司の中谷巌が懺悔の書を出した」とうれしそうにしゃべっていた。
中谷氏自身も、本書のまえがきで「著者も改革を担った経歴を持つ。その意味で本書は自戒の念を込めて書かれた懺悔の書である」としている。小さな政府、規制緩和、民営化、グローバル化などを掲げてあらゆることを市場に任せるべきだという新自由主義は、誤りだったということが本書の主題である。
以前から内橋克人氏や森永氏、ジョセフ・スティグリッツ氏、ポール・クルーグマン氏らは、新自由主義の危険性に警鐘をならしていた。
自由市場の見えざる手は経済に良い結果をもたらすと考えられてきたが、そこには閉ざされた市場において個々の経済主体には同じ情報が与えられており合理的行動をするという前提条件がある。しかし、今日のように多様化しグローバル化した市場では、人々が合理的行動をするとは限らない。また、実際には大きな情報格差があり、間違いなく勝者と敗者を生み出す。
このようなことが起こるのは分かっていたはずである。新自由主義政策を推し進めたレーガン大統領はトリクルダウン(滴り落ちる)によって富裕層から貧困層へも恩恵がもたらされると主張したが、実際は貧困は拡大した。また、自由主義経済へと舵を切った鄧小平氏が唱えた「先富論」も格差容認論であった。これらの主張は格差が生じることが分かっていたからに他ならない。しかし、新自由主義者たちは格差について、敗者になるのは自己責任であると切り捨てた。
今般のサブプライムローン問題から発した世界金融危機は、新自由主義がもたらした結果の重大性を痛感させた。中谷氏は、この自由市場の前提を疑うべきだったとし、貪欲なグローバル資本主義が人々を不幸にしたという認識を示す。結局のところ、一部の国際的資本家を有利にする論理だったと論じている。
間違っていたと天下に公表し転向するのは、潔いことである。規制緩和・自由化論の急先鋒だった人物が間違いを改めようと言うのだから、説得力がある。本書は経済の歴史的転換も分かり易く解説している。いま読んでおくべき一冊である。