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会長の読書

ヴァーミリオンの女 (井上由理著、平凡社)

 女流画家の森田元子(1903~1969年)の伝記である。森田元子を知らない人も多く、美術関係者以外に、この高価な本を買って読もうという人もいないだろう。だが、今月はこの本を取り上げる。
 なぜなら、森田元子は私の伯母だからである。(私事に関わる記述がありますが、ご容赦ください)
 元子は子供のころから才能を現し、周囲の勧めで絵の道を志す。まだ十代のころ、「主婦の友社」による絵画募集に応募したところ、当選し、元子の作品が表紙を飾ることになった。その後、当時の日本の洋画の指導的な立場だった画家の岡田三郎助の指導を受けるようになる。そして、岡田の推挙と「主婦の友社」の支援で、元子は21歳でパリに渡った。
 パリに向かう船「賀茂丸」には西条八十も乗船していた。西条は「鞠と殿様」、「同期の桜」、「蘇州夜曲」、「青い山脈」、「王将」、「東京音頭」など数えきれないほどの作品を遺し、当時はすでに名前が知れていた作詞家であった。
 パリではシャルル・ゲランに師事する。ゲランはギュスターヴ・モローの弟子であるが、同じく門下のアンリ・マティス、ジョルジュ・ルオーなどが当時のパリ画壇の中核をなしていた。また、当時のパリには藤田嗣治、佐伯雄三などもいた。元子は、そうした環境の中で絵の修業を続けた。西条八十とは、たびたび一緒に旅行に行くなど、深い付き合いをすることになる。西条の恋人だったと言っていいだろう。
 パリ滞在を終えて帰る船上で新たな出会いがあった。それは、森田俊彦との出会いである。帰国後、元子は西条とはきっぱりと別れ、森田俊彦と結婚する。俊彦は日本陸上競技連盟の理事を務め、パリ、ロサンゼルス、ベルリンなどのオリンピックに役員として参加している。その俊彦の父親の彦季は日本銀行の理事などを歴任している。さらに、祖父の森田晋三は坂本龍馬の海援隊の一員だった。晋三は岩崎弥太郎とも知り合い、三菱商事の前身の九十九商会の設立に参加するが、三菱商事になってから身を引き、南画と詩作に専念した。しかし、それなりに財産を築き、東京の南青山に大きな屋敷を構えていた。晋三の孫は10人もいる。そのうちの第一子が俊彦で、俊彦の妹が私の母である。
 空襲によって南青山のアトリエは焼けてしまうのだが、終戦後に俊彦は献身的努力で、まずアトリエを再建。さらに住居も建てて、兄弟家族を呼び集めた。元子の画業は順調に再開するのだが、60歳半ばで病をえて入院。私は慶応病院に見舞いに行ったことがある。その時は元気な様子だったが、その数年後に亡くなってしまう。もう少し長く生きていれば、日本の女流画家としてさらに大きな足跡を遺したに違いない。今は、容姿端麗で絵のモデルを務めていた元子の末娘裕子が跡を継いで画家として活躍している。
 ところで、元子と別れた西条八十は元子の展覧会には欠かさず訪れ、葬儀にも列席している。西条は元子への愛情を謳った詩を多く遺している。
 それにしても著者の井上由理氏はよく調べてまとめくれている。感謝申し上げたい。

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