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会長の読書

ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー (ブレイディみかこ著、新潮社)

 福岡の貧乏な家庭に生まれ育った著者は、イギリスに渡りアイルランド人と巡り合い結婚、今はロンドンから少し離れたブライトンに住んでいる。ブライトンはLGBT(性的マイノリティー)の多い街と言われている。
 12歳になった息子「ぼく」を通して、イギリス社会の現状をリアルに記述している。マスメディアでは伝えきれないイギリスの現実をよく知ることができる内容である。イギリスの街に行った人は、意外と黒人が多いのに気付いたと思うが、1970年代後半に「人種のるつぼ」と言われていたニューヨークだけではなく、今やロンドンを初めヨーロッパの主要都市も「人種のるつぼ」となっている。現代の表現で言えば「人種のサラダボウル」状態である。
 イギリスは、元から階級社会であったが、今は人種と宗教、ジェンダー、性的マイノリティーなどなど、多くの違った価値観を持った人たちが交じり合っている。その現実を、本書で日々の生活の出来事として多く知ることができる。
 「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」とは、息子がノートに書いた落書きであるが、東洋人で白人で、ちょっと悲しいということのようだ。それを目にした母親である著者はちょっと気になる。しかし、息子はさまざまな出来事を経験しながらたくましく成長していく。
 英国の学校には運動場やプールがないところが多いのだが、地域での学校対抗の競技は開催されている。ある日、水泳大会があり、プールの対岸で明確に上流社会とそうでない親たちで分かれていることに気が付く。そして、競技では上流社会の子供が断然強く、大半のメダルをさらっていく。そんな中で著者の息子は上位入賞でメダルを獲得する。誇らしいことであるが、考えさせることが多い。格差社会では上流社会の子供たちは学業も優秀だがスポーツも強いのである。
 シティズンシップ・エデュケーション(公民教育)のテストで、息子は「エンパシーとは何か」という質問に「誰かの靴を履いてみること」と答える。誰かの靴を履くとは、英語の常とう句で、相手の立場になって感じることであるが、息子の成長した姿を見る。こうした教育が行われているということは、多様な違いと折り合いをつけていかなければならないという社会の実態が背景にあるからだろう。
 あらゆる違いが混在しているイギリス社会に比べて、日本は、違いはあるものの遭遇することは少なく、気楽に暮らせる社会であると思っていた。ところが、帰省して福岡に滞在しているときに、お酒が入った男性に絡まれて、著者と息子は差別的な言葉を投げかけられる。均質な社会であるがゆえに、日本人は異質なものへの配慮が足りないのではないかと考えさせられた。日本でもいずれシティズンシップ・エデュケーションが必要になるときが来るのかもしれない。

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