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会長の読書

みずほ銀行システム統合、苦闘の19年史 (日経コンピュータ、山端宏実、岡部一詩、中田敦、大和田尚孝、谷島宣之著 日経BP)

 いきなり、私事で恐縮だが、ライオン歯磨とライオン油脂の合併の時のシステム統合にかかわったことがある。元々は兄弟会社であり、業界も同じなのに、話し合いを始めたら用語が違っていたのである。例えば、商品の分類で大分類・中分類・小分類について「品目・品種・品名」と言っていたのに対し、相手方は「品種・品名・サイズ別」と言っていた。そこで、最初にやったことは用語辞書作りであった。
 かように、企業の合併時のシステム統合は大変に手間のかかる仕事なのである。
 2001年、第一勧業銀行・富士銀行・日本興業銀行、それぞれに歴史ある一流の3行が合併し、みずほ銀行となることが決まり、システムの統合が必要になった。無難なやりかたは、一社のシステムに片寄りすることであるが、それぞれに面子があり、譲れない事情があったということである。第一勧業銀行は富士通のメイン銀行であるため、富士通にこだわり、富士銀行も日本興業銀行もIBM と日立のシステムを捨てるわけにはいかないと考えていた。
 しかし、統合システムを作らざるを得ず、多くの事情を包含したまま、多額の費用をかけて統合したのだが、その統合システムが稼働初日の2002年4月1日に大トラブルを起こした。当時の塩川正十郎財務大臣が「科学の発達した今時、そんなことがあるのか」と詰問した。更に、2011年の東日本大震災の直後にも大きなトラブルを起こした。
 このプロジェクトは前代未聞の巨額予算で遂行され、当時のIT 業界を潤した。本書によると富士通、IBM、日立、NTT など大手を始め、実に3,000社ものIT 会社がかかわっていたということである。IT 業界では、みずほの仕事はおいしい仕事で、多くのIT 会社が群がっていた。傍から見ていると、金で解決しようとしていたように見えていた。
 日経新聞は、この巨大システム統合に注目して当初から取材を続けていた。記者会見で、CIO(情報担当役員)について質問したところ、頭取は即答できず、その場しのぎの回答であったと記述している。また、「システムは技術の問題だ」との経営陣による発言もあり、IT 軽視の様子がうかがえたとも記されている。
 当時は、IT が急速に進歩していた時期で、定型業務にしか適応できなかったコンピューターが、高機能な対話型マシンが登場して分析や企画などの非定型業務にも使えるようになっていた。一般企業では、定型業務を担うシステムを基幹系、非定型業務を情報系と呼んでいるが、銀行ではこれを勘定系と情報系と言っている。
 私見だが、勘定系という言い方に違和感を持っている。現場の事務を勘定業務という認識なのであろうが、銀行にとって現場の事務こそ基幹的な仕事であると思われるのに、それを基幹系と言わずに勘定系と言うのは、やはり現場軽視の経営姿勢があったように思える。
 本書の結論として、巨額の経費と時間を費やしたにもかかわらず再三のトラブルを引き起こしたのはシステムの失敗ではなく、「経営の失敗」であると手厳しく指摘をしている。

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