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会長の読書

検証!古代史『十大遺跡』の謎 (関裕二著、PHP研究所)

 1970年代に、邪馬台国論争が起こり、九州説と畿内説が論じられていた。1968年に出版された松本清張の「古代史疑」(九州説)がベストセラーになったのがきっかけであった。ミステリー作家の巨匠高木彬光も「邪馬台国の秘密」を出版した。これらを読んだ一般の人々の間でも議論されるようになっていたのである。
 1980年代の中頃、佐賀県吉野ヶ里の大規模発掘によって遺跡の全貌が明らかになると、一躍、九州説が脚光を浴びた。いま、吉野ヶ里は人気の観光地になっている。一方の畿内説は、以前から卑弥呼の墓ではないかと言われている箸墓古墳近くの纒向遺跡(奈良県)の発掘で、大宮殿跡が見つかり、最近は畿内説が有力になっている。古事記の“神武東征”が九州から出発し東に遠征した後、畿内に帰ろうとしていることから考慮すると、九州に古代の勢力が存在し、それが次第に畿内に移転したように思われる。
 出雲については、古事記などに記載されているものの単なる神話だと考えられていたのだが、1985年の荒神谷の発掘によって出雲に一大勢力があったことは歴史的事実であると見なされるようになった。なにしろ、358本もの銅剣が埋納されているのが見つかったのである。
 埼玉県の稲荷山古墳からは鉄剣が見つかり、1983年に国宝に指定された。鉄剣には「大王の親衛隊である」という意味の文字が刻印されていた。つまり、関東の人物がヤマト朝廷の兵士として仕えていたという証拠である。実は、群馬県と埼玉県には近畿を上回る数の古墳がある。
 多くの発掘と炭素年代法の進歩で、次々と新事実が明らかになっている。その解明の過程についても、本書にかかれていておもしろく読める。
 素人でも分かる古代史の本を最もたくさん著しているのは関裕二であろう。本書は三内丸山遺跡、吉野ヶ里、荒神谷、鬼ノ城など十ヵ所の重要遺跡を解説している。学者の中には俗本だと批判する人がいる。確かに、本書には仮説と推測も語られている。しかし、まだ分からないことがたくさんあるのだから、仮説も推測も当たり前であると思う。
 昭和の中頃に、江上波夫博士によって、大陸から渡ってきた人々によって縄文人が征服され弥生時代になったという騎馬民族日本征服説が唱えられたが、今ではトンデモ説ということになっている。また、明治時代にはもっとトンデモない説があった。坪井という人が埼玉県の吉見の百穴をコロボックル(アイヌ伝説の小人)の住居跡であると論じたのだが、後日、横穴式墳墓であると判明した。この坪井正五郎氏は後に考古学博士となっている。トンデモない説かもしれないが、仮説が唱えられたことによってそれが検証され、一歩前進したのである。
 現代社会にとって、邪馬台国がどこにあろうと何の影響もないのだが、古代の日本の姿が気になり、遺跡にも足を伸ばしている人も多いのではないかと思う。かく言う私も、その一人で、古代史に関する本を読んでは遺跡を訪れている。
 この本を片手に古代史ロマンの旅をしてみてはいかがだろうか。

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