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会長の読書

バンクーバー朝日軍 (テッド・Y・フルモト著、東峰書房)

 WBCでは、日本選手の活躍に日本中が湧きあがった。しかし、100年前のカナダの野球リーグで日系野球チーム「朝日軍」が大活躍していたことを日本人の多くは知らない。

 その伝説の野球チーム「バンクーバー朝日軍」の活躍を日本に知ってもらうために、「朝日軍」のエース テディー・フルモトの子息古本喜庸氏が思いを込めて著したのが本書である。

 明治時代、まだ貧乏だった日本人はハワイや南米などに新天地を求めて海を渡った。カナダに渡った日本人は当初は林業の下働きだった。しかし、鮭が大挙して遡上してくるのに目を付けた一部の人たちが漁業で成功し、日系移民が増え始めた。

 当時、アメリカ大陸を横断し西海岸にやって来た白人は、白人のパラダイスを築くことを夢見ていたため、そこに次々と東洋人が渡ってきたことに嫌悪感を持ち、激しい人種差別を行った。白人による排日暴動(1908年)が勃発するほど激しいものだった。

 日本の野球は、第二の国技とまで言われるほどに盛んであるが、当時の移民たちも野球を楽しんでいた。バンクーバーの日本人街に多くの野球チームができ、休日には盛んにゲームが行われた。そんな時期に、身体能力の優れた二世たちを集めた野球チーム「バンクーバー朝日軍」が誕生した。優れた監督によってめきめきと実力をつけた「朝日軍」はやがて、白人チームが中心のリーグ戦に参戦し、とうとうリーグ優勝を果たすのである。

  日系移民にとって、野球は白人と対等にゲームができ自分達を認めさせる手段であった。小柄だが機敏な日本人が次々と白人チームを破る姿に、日系人は熱狂した。  しかしながら、その「朝日軍」も終わるときがきた。太平洋戦争が勃発し、日系人は収容所に入れられたのである。不当に虐げられていた日系人も、戦後年月が経ち、アメリカでレーガン大統領が収容所に収監された日系人に対し、謝罪し賠償をしたことに続いて、カナダでも名誉が回復された。

 そして、2002年カナダでのマリナーズとブルージェイズの試合の始球式に「朝日軍」の生き残り5人が招かれ、イチローやダイマジンと握手を交わした。野球好きなカナダ人の記憶に深く残っていたのである。その後、野球の殿堂入をした。  晴れ晴れしく誇らしいこの出来事を祖国の人達もきっと喜んでいるに違いないと、日系人たちは思っていた。しかしながら、日本ではほとんど知られていない。 彼らの思いに、古本氏は突き動かされた。

 私の知っていた古本氏は日立製作所の本部長だったが、その彼が取材を重ね原稿を起こした。初めて書いた本としてはなかなかの筆力である。構成もしっかりしている。

 最初の出版は自費出版だったのだが東峰書房の目に止まり改めて再出版をし、いま店頭に並んでいる。そして2014年12月映画化され封切られた。映画はそれなりに感動的な映画に仕上がっているが、古本喜庸氏の名前はどこにも出てこない。最後の方に企画協力テッド・Y・フルモトと小さく書いてあるだけである。古本さんに聞くと、わずかな契約金をもらっただけだと言う。

 だが、古本氏は第二作「テディーズ・アワー」を書き上げて、上梓した。

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