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会長のエッセイ

大内兵衛のハガキ

 大内兵衛と言っても、知らない人が多くなってしまった。昭和の中頃の有名な東京大学の教授で、マルクス経済学者として知られていた。カール・マルクスは、アダム・スミス流の自由主義経済において搾取されている労働者の悲惨な姿を見て、労働者による革命を起こし、人間の理性による共産主義計画経済社会を築かなければならないと論じた。このマルクス理論による共産主義革命が1922年に実際に起こり、ソビエト連邦が誕生した。当時は、マルクス経済学を信奉する日本人が多く、中には、共産主義国のソ連、中国、北朝鮮は理想の国家だと言う人もいた。こうした背景の中で、大内兵衛は人気のある経済学者だったのである。
 しかし、共産主義計画経済はうまく行かず、わずか70年後の1991年にソ連は崩壊したため、今ではマルクス流の計画経済は成り立たないと考えられるようになっている。また、計画経済を展開しようとすると、計画を立案する側と実行する側という新たな階級が形成され、計画を立案する側が次第に権力を持つようになり、それが専制的になってしまう。今日、専制的になってしまったプーチン大統領と専制的支配を強めている中国共産党、独裁国家になってしまった北朝鮮が、世界に問題をもたらしている。ソ連崩壊の前にお亡くなりになった大内兵衛がご存命だったら何と語るのだろうか。
 ちなみに、このマルクス経済学の大内兵衛の最大の論敵は、慶応大学の小泉信三だった。当時、東京大学や大阪大学はマル経、早稲田・慶応は近経で、たびたび論争が繰り広げられていた。(マル経:マルクス経済学、近経:近代経済学=主としてケインズ流の自由主義経済学)小泉信三についても知らない人が増えているようだが、皇室に美智子妃殿下を推挙した人と言えば、思い出す人もいるかもしれない。
 さて、その大内兵衛のハガキが、我が家の押し入れから出てきたのである。昭和35年の消印の私の父宛のハガキである。達筆な毛筆で書かれていて、「論文をお送りいただき、ありがとうございます。この分野は素人なので分かりかねる」というようなことが書かれている。当時、父は犯罪心理学を研究していて、「不景気だと大人の犯罪が増え、好景気になると少年犯罪が増える」という説を唱えていた。多分、このことについて有名な経済学者であった大内兵衛に意見を求めたのではないかと思われる。
 さてさて、これだけだと別に珍しいことではない。珍しいのは、約60年前のこのハガキが現在の我が家の一軒おいた隣の家から、当時、浦和市に住んでいた父宛に送られていることである。40年ほど前に、父とともに鎌倉市姥ヶ谷(現住所:鎌倉市稲村ガ崎3丁目)に引越してきたのであるが、その家の近くに大内兵衛がかつて住んでいたというわけである。
 さらに、大内兵衛が住んでいた家の間の家、つまり隣の家には、有澤廣巳が住んでいたのである。有澤廣巳もマルクス経済学者で、大内兵衛は退官後、法政大学の総長になっているが、有澤廣巳も大内兵衛の次の総長になっている。しかも、大内兵衛のお宅の隣に住んでいたというわけである。戦前の共産主義に対する取り締まりが厳しかった時代に、この二人は一緒に検挙されたことがあるため、隣同士で住みたかったのかもしれない。
 鎌倉の小さな谷・姥ヶ谷には、哲学者の西田幾多郎、画家の有島生馬(白樺派の有島武郎の兄)、彫刻家の高田博厚など明治・大正・昭和の文化人がたくさん住んでいたので、まだまだ多くの物語が潜んでいるに違いない。 (敬称略)

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