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会長のエッセイ

ご先祖様と子孫繁栄

 玉生家は、建長6年(1254年:鎌倉時代)に下野の国に玉生城を築いた玉生忠昌を初代として、私まで34代続いている。最も家勢が盛んだったのは、笠間城の城主となり3万石の石高になった時(1590年代)である。玉生家には多くの古文書が伝わっているが、中に、新田義貞からもらい受けた助包(すけかね)を授けると書いてある感状もある。もし、この助包の刀が残っていれば、国宝級である。(感状:戦功のあったものに与えられる感謝状)

 残念ながら、玉生家は秀吉につぶされ、その後も徳川に組することもなかったため、武士の身分を失い、江戸時代は庄屋として過ごすことになった。この間に多くのお宝を手放すことになったのではないかと思われる。
 ということで、玉生家については、歴史学者が古文書を解読し、論文にしてくれたこともあり、かなり詳しく分かっている。なお、我が家の古文書は東京大学史料編纂所に登録されている。
 一方、母方の森田家のルーツについては何も知らなかったのだが、今年(2022年)になって知ることになった。なんと、私の曽祖父森田晋三が坂本龍馬の海援隊の一員だったというのである。画家だった伯母の森田元子についての「ヴァーミリオンの女」(*注)という本が平凡社から出版され、森田家についてかなり詳しく記載されているため、初めて知ることができた。森田晋三は母の祖父なのだから、母から教えられていてもいいことなのだが、母はそのようなことには興味がなかったのだろうか、ほとんど何も聞かされていなかった。
 坂本龍馬は土佐藩を脱藩し、亀山社中を設立し、その亀山社中が後に海援隊になったことは知られていることである。海援隊になってからは、土佐藩から多くの人が加わるようになっているが、森田晋三はその時に参加したようだ。
 さらに、森田晋三は岩崎弥太郎に出会い、三菱商事の前身の九十九商会の仕事に携わり、明治と大正の時代に財を築いたということである。
 母の実家は、青山学院の裏口を出たところにあり、そこに住む3人の従弟が2棟のマンションを建てているので、普通の家ではないのだろうとは思っていたのだが、明治の初期から三菱とつながっていたのである。森田系の従弟は合計で12人もいて、その子供たちは28人に及び、子孫繁栄している。ちなみに、青山の3人の従弟の息子たちの7人のうち5人もが慶応大学ラグビー部に入部して活躍している。
 それに比べて、玉生系の子孫は少なく、ピーク時の3万石の時以降、400年間も子孫繁栄して来なかったようだ。私の孫も1人しかいない。この孫が結婚して子供を作らないと、玉生の家名も古文書も失われてしまう。今のうちに、東京大学史料編纂所に寄贈しておいた方がいいのかもしれない。

*注:「ヴァーミリオンの女」平凡社:昭和中頃に活躍した画家森田元子(1903~1969)の伝記。フランスに留学して絵を学び、帰国後に森田俊彦と結婚し青山にアトリエを構えた。女子美術大学の教授、光風会審査委員などを務め、将来を嘱望される女流画家だったが、病を得て亡くなってしまう。この森田元子の生涯を女子美術大学美術館の学芸員だった井上由理氏が詳細に調査の上、2022年に出版した。

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