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会長のエッセイ

針ノ木岳の大遭難

 暑い夏には、家内と二人で涼しいところに避暑に行くことにしている。ある年、友人に紹介してもらった軽井沢の「B&Bあさま」と言う宿に滞在することにした。そこは、ご主人を亡くされたご婦人が一人で切り盛りしている小さな宿である。       *B&B はBed & Breakfast
 夜になると、ロビーに集まり、客と女主人とでワインを飲みながら談笑が始まる。そこにはピッケルなど山の道具が飾ってあったので「山がお好きなのですか?」と尋ねると、「早稲田の山岳部でした」と言う。「へー、そうですか! 家内の父親も早稲田の山岳部だったのですよ。渡辺公平と言います。」と言うと、女主人はビックリして「ほんと! ハム先輩にはずいぶんとお世話になったのよ〜。懐かしいわ。」「しかも、ハム先輩のお嬢さんがお泊まりに来てくれるとは、何という偶然なのでしょう」
 後輩の女子部員にもハムさんと呼ばれていたようだ。ハムとは公平の公の字をハムと読んだあだ名である。「実は、森田勝彦と言う私の伯父も早稲田の山岳部だったんですよ」と言ったらこちらの方はあまり覚えていないようだったが、このような話でこの夜は盛り上がり、翌朝の朝食も美味しくいただいた。

 地球温暖化のためか、軽井沢も涼しくない日が増えた。また、アウトレットができてから道路が激しく渋滞するようになった。そのため、近ごろは軽井沢を敬遠し、「B&Bあさま」にも行っていない。
 今年は、どこか涼しいところはないかとネットで探して、諏訪湖から北に登ったところにある霧ヶ峰高原の「鷲ヶ峰ヒュッテ」に泊まることにした。ここは標高1656mもあるため、間違いなく涼しい。ただし、数年前までは電気がなくランプを使っていたと言う山小屋である。山小屋だから多少の不便は覚悟して行ったのだが、諏訪の街の夜景を眺めながら入るお風呂は快適で、朝晩の食事も美味しい。
 この「鷲ヶ峰ヒュッテ」の食堂兼居間には山の本がたくさんあった。月刊誌の「山と渓谷」は昭和の頃からのバックナンバーが全部揃っていた。山岳遭難についての本が目に付いたので開いてみた。
 実は、昭和2年に早稲田大学山岳部は針ノ木岳で大きな雪崩に遭い、4人もの犠牲者を出しているのである。その時の登山隊に岳父の渡辺公平と伯父の森田勝彦がいたのである。隊は第一隊と第二隊に分かれていて、雪崩に遭ったのは第一隊の11人、この中に渡辺公平がいた。しかし、幸いにも雪崩に巻き込まれず生き残ったのだが、4人が亡くなった。森田勝彦は第二隊であったため、雪崩の現場にいなかった。
 開いた本の中に渡辺公平と森田勝彦の手記が載っていた。伯父の文章は初めて目にした。手記には、雪崩が起きた時の状況よりも、その後の捜索について多くのページが費やされていた。消防、警察、山岳関係者、新聞記者などたくさんの人たちが集まって来て大規模な捜索が行われたことが書かれていて、当時の大事件であったことがよく分かった。
 後に、渡辺公平は日本山岳連盟の会長になった。森田勝彦は千葉ニッサン販売の社長になり、ロータリー倶楽部のガバナーにもなった。
 私の結婚の時に伯父は「なんだ、ハム平の娘と結婚するのか、・・・」と言ったが、詳しくは覚えていない。多分、「人柄はよかろう」と言うようなことだったのだろう。
 二人とも故人となったが、同世代の「B&Bあさま」の女主人はお元気なのだろうか。

玉生 弘昌

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