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会長のエッセイ

〽ゲンヤダナー〽

 ある日、人形町の「濵田家」に上がった。人形町の交差点から少し隅田川寄りの脇道にある。大正2年創業という老舗料亭である。

 看板に「玄冶店(げんやだな)濱田家」とある。玄冶店(げんやだな)、何だか聞いたような響きだ。席に着き、膳を出す中居さんの帯の柄を見ると、蝙蝠(こうもり)だった。帯の柄が蝙蝠とは珍しい。
 玄冶店(げんやだな)と蝙蝠? ひょっとして、あの春日八郎の大ヒット曲「お富さん」に出てくる〽エイサホー ゲンヤダナー〽と〝蝙蝠安〟とに関係があるのかな。
 そこで、聞いてみた。やはりそうだった。この辺りは、江戸時代に御殿医岡本玄冶の屋敷があったところで、玄冶とは土地の名前だそうだ。店は「大家と店子」と言われるように貸家という意味である。
 「お富さん」は並みのヒット曲ではない。1954年に発売以来長きに亘って毎日のようにラジオで曲が流されていた。1番の最後の歌詞〽エイサホー ゲンヤダナー〽は深く耳に残っている。60歳以上の日本人で、この歌詞を知らない人はいないだろう。

 だが、〽エイサホー ゲンヤダナー〽の意味は知らなかった。単なる掛け声だと思っていた。調べてみたら、2番は〽エイサホー すまされめー〽、3番は〽エイサホー 茶わん酒〽だから、ゲンヤダナーはかけ声ではないのだが、ラジオでは1番しか流されないことが多かったからだろうか、全く気が付かなかった。

 この歌は、歌舞伎の「与話情浮名横櫛(通称:切られ与三郎)」をモチーフにした歌謡曲で、生き別れた〝切られ与三郎〟と〝お富〟が、出会うという場面を歌っている。江戸の大店の養子〝与三郎〟は、故あって木更津に預けられる。そこで地元の親分の妾〝お富〟と好い中になるのだが、それが露見し子分たちに滅多切りにされる。〝お富〟は追い詰められて海に飛び込み、それぞれが生死も知れぬ生き別れになる。それから3年、無頼漢となった〝切られ与三郎〟と相棒の〝蝙蝠安〟とが金銭をゆすりに入った玄冶店にある妾宅にいたのが偶然にも〝お富〟だった。「御新造さんぇ、おかみさんぇ、お富さんぇ、いやさお富~ ひさしぶりだなぁ」と言う名台詞となる。
 歌謡曲「お富さん」が歌舞伎を題材にしていることを知っていても、歌舞伎では玄冶店ではなく源氏店となっているので、歌舞伎ファンでも気が付いていない人もいるようだ。歌舞伎では、お上に遠慮して実名を使わないことがある。仮名手本忠臣蔵でも大石内蔵助ではなく大星由良助となっているように、岡本玄冶と言う御殿医もお上側の人であるので、実名を使わずに源氏店としたのだろう。
 年配の人は〽ゲンヤ―ダナ〽は必ず耳に強く残っているのにもかかわらず、私のように意味を知らなかった人が多いと思われる。何ということのない発見だが、ある日、このネタを喜寿の方にお話したら、やはりご存じなかった。説明すると、大変面白がってくれた。喜寿といえどもこの曲がヒットしていた時は10代で、艶めいた内容を理解していたわけではなく、意味も分からず歌詞を覚えていたのだろう。
 若い読者の方は、お父さんかおじいさんに披露するといい、きっと受けると思う。ただし、一応、蘊蓄(うんちく)を語るには、歌舞伎の知識を仕入れておかなければならない。

 尚、〽粋な黒塀 見越しの松〽を〽粋な黒兵衛 神輿の松〽と思っていた人は、この蘊蓄を語る前にもっと勉強する必要がありそうだ。

玉生 弘昌

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